齋藤秀雄 講義録 斎藤 秀雄 (著) 小澤 征爾、 堤 剛、 前橋 汀子、 安田 謙一郎、 山崎 伸子 (編集) [1:演奏技術およびギター関連]
おざわせいじ 小澤征爾
「サイトウ・キネン・フェスティバル」で有名なチェリスト・指揮者による講義の録音テープを書き起こしたもの。
「クラッシックの曲をどういうイメージでとらえ、どのような考えを持って音を出していくのか」というテーマについて、絵画や料理などのたとえをふんだんに用いて解説されており、とてもインパクトのある内容でした。
曲の解説で具体的な一節を例示して説明しているところは楽譜が掲載されています。自分の知識不足で楽譜が読めず、ニュアンスが理解できないのが残念・・・と思っていましたが、YouTubeで検索すると簡単に曲を見つけられることに気づき、動画を再生しながら音と楽譜を見比べつつ解説を読むと、齋藤先生の言いたかったことがよく分かりました。
芸術とは何か、音をどう出すか、といった「音楽」に対する根本的な姿勢について学ぶところが多く、ソロ・ギターのメロディーや和音の弾き方を考えるうえで役に立つヒントがたくさんありました。おすすめの一冊。
<ノート>
・芸術とは?
芸術とは、「一つの素材でもって全然違うものを作り上げる」ということ。その素材はあるべく簡単な方がよろしい。なるべく単純なもので、全然素材と違うものを作り上げる。音楽会へ行って、音を聴いたときにその音を意識できるんだったら、それはまだ芸術品じゃない。
私はヴァイオリンを弾くけれど、ヴァイオリンという道具を使って音楽を、違うものを聴かせよう、聴衆に何か印象を与えよう、と思った時に、そこに芸術が生まれてくるのではないかと思うんです。
・日本人の好み
心に触れるものを日本人は好む。
心に何か触れ合うものがあると、「あれはいいな」と思う。
・音楽と絵、言語
音楽というのは、絵と非常に似ているところがある。絵には「構図」「色彩」「人物の表情」などがある。音楽にはさらに「言語」の要素が入ってくる。
・器楽と声楽
昔は器楽と声楽が完全に分離していた。シューベルトが初めて声楽を器楽に取り入れた。
人間の言葉と声楽というもの、言語というものが音楽に入って初めて人間の心を音に表すのが簡単になってきた。そうしてロマン派がどんどん発達してきた。
・人間のことば
言葉は分からなくても、外国人がどういう感情を持って話をしているのかは分かる。音楽は言葉の代わりに「ニュアンス」で感情を表す。
・「比較」と「対照」
音楽には常に「比較」がある。例えば、
「大きい-小さい」
「軽い-重い」
「悲しい-うれしい」
「遠い-近い」
「硬い-柔らかい」
「問い-答え」
...など。
人間の言葉にも「比較」と「対照」がある。いろいろなメロディーを調べると、必ず具体的なことを言って、その次に感情的なことを言っている。こじつけでもいいからそういうふうに演奏すると、みんな「分かった、分かりやすい」と言う。
・フォイアマン先生の教え
先生は「バッハを弾くためには考えなきゃいけない」ってこと、「自分で解釈を付けないといけない」ということを教えてくれた。考えるヒントを先生から教わったら、後は自分で考える。
・「自由」
人類の自由というのは、規則を守ることによって生じる。音楽においては、「すべての人がそう感じるであろう」という必然性を守ったうえであれば、自由に弾くことが許される。
・構 図
「対照」となるものを組み合わせて、音楽の構図をつくる。
・感 情
尻尾(フレーズの終わり)では感情を表す。
言葉のあとに感情が来る。
・無機的→有機的
フレーズの展開のイメージ。無機的な演奏(状態を説明)→有機的な演奏(どう感じるかをしゃべる。感情を表現。)の流れ。
・起承転結
曲全体を通して、起承転結の「転」がないと面白みがなくなる。曲の中で突然変化を起こす方が人間の欲望に合致する。
・人が感じる曲の速さ
イン・テンポで演奏していても、曲を聴いて「ここでは速くなる」という気持ちが聴衆の方に湧いているのに、それ以上に曲が速くならないと、聴衆にはのろくなって聴こえてしまう。
・メトロノームを使った練習
テンポの崩れる生徒には「メトロノームを使え!」と言う。メトロノームを使ってある点まで行ったならば、「メトロノームから離れろ」「離れて自由に弾け」と言う。永久にメトロノームに合わせたテンポで演奏していると、機械的な演奏になって人間性が出なくなってしまう。
・力を抜くには時間がかかる
人間の筋肉は、力を入れるのは一瞬でできるが、力を抜くのは時間がかかる。演奏の強弱においては、急にフォルテにすることは生理的に可能だが、急にピアノにすることは生理的に不可能。
・大脳と小脳
小脳的な練習:指の機械的運動のトレーニング。
大脳的な練習:音楽的に弾くためのトレーニング。
・基礎が大事
基礎教育が悪いと、あとでいくら頑張ってもだめ。
基礎を知っていると、練習をしていてある出来ないところへ行った時に「なぜ出来ないんだろう」と考える。どこか基礎に軟弱なところがあるからできないのである。
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(2009/6/2記)
洲之内徹が盗んでも自分のものにしたかった絵 文・洲之内徹 [5:その他]
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銀座の「現代画廊」を経営していた美術エッセイストの洲之内徹がコレクションした絵の画集。
それぞれに短文が添えられており、絵と文章がお互いを引き立てています。
音楽や絵をたしなむ身として、「はっ」とさせられる文章を拾ってみました。文章中の「絵」を「音楽」に置き換えてみると、ひとつひとつの言葉に考えさせられるものがあります。
<ノート>
どんな絵がいい絵かと訊かれて、ひと言で答えなければならないとしたら、私はこう答える。
「買えなければ盗んでも自分のものにしたくなるような絵なら、まちがいなくいい絵である」と。
写真家の土門拳さんが鳥海さんの「うずら」を画廊に売りにきたとき、私はまさにそういう気持ちになった。
松本俊介の世界のこの静かさと美しさは、運命に従順な物の持つ静かさと美しさではあるまいか、という考えが浮かんできたのであった。
所詮、絵かきは絵で物を言わなければならない。それが絵かきの宿命である。
わたしは常々、絵というのは生き物で、一枚の絵にはその絵の運命があると思っている。
絵は絵だというのが、いうならば私の絵画論の全部である。絵が自分で語りかけてくれるもの以外は、ほんとうは、私はあまり信用しない。
展覧会を見に行けば、大きな声を出した者が勝ちというような絵がずらりと並んでいる。この居心地の悪さ。どちらを向いても私は生きた心地がしない。どこにもこの身を託すことのできるリアリティーがない。
(小野幸吉の絵について) その率直さにうたれた。そして、人間が率直であることのできた時代というものがあったのだ、とつくづく思った。率直ということは美しい、いまの世の中にないのはそれなのだ。
売れないことは、画家にとって、決して不幸とは言えない。(・・中略・・)他人の眼が絵の中に入ってくる。心ある画家にとって、他者の眼との戦いこそ、真の戦いであろう。
いまの絵が概してつまらないのは、要するに、この「ね、見て、見て、」がいけないのだと思う。
(2009/6/14記)
熱血!アコギ塾 フィンガーピッキング編 (2007年) [1:演奏技術およびギター関連]
アコースティックギターのフィンガーピッキングに関する演奏講座を中心に構成されたムック。
ちょうどわたしがアレックス・デ・グラッシの「Turning: Turning Back」の練習を始めた頃に出版され、彼のインタビューとギター演奏レクチャーが載っていたので購入しました。
イントロには、トミー・エマニュエルの来日ライブレポートや、彼へのインタビューを元に構成したハイ・テクニカル・ギター講座があるので、トミーファンのソロ・ギター弾きには必携の内容。
他の特集記事として、「打田十紀夫のフィンガー・スタイル・ブルースギター講座」「Masa Sumideのリズム&グルーブ・ギター講座」もあります。
KW:Tommy Emmanuel、奏法、練習、ピッキング、サムピック、ギャロップ奏法、ギャロッピング奏法、ハーモニックス奏法
(2009/5/30記)
熱血!アコギ塾 フィンガー・ピッキング編 (シンコー・ミュージックMOOK)
- 作者:
- 出版社/メーカー: シンコーミュージック
- 発売日: 2007/10/24
- メディア: ムック
【ご参考】
Alex de Grassi の「ターニング:ターニング・バック」を練習するために、こちらの楽譜とDVDを購入しました。
楽譜:Best of Alex De Grassi (Guitar Recorded Versions)
Best of Alex De Grassi (Guitar Recorded Versions)
- 作者:
- 出版社/メーカー: Hal Leonard Corp
- 発売日: 2007/01
- メディア: ペーパーバック
DVD:Alex Degrassi in Concert [DVD] (2007)
Alex Degrassi in Concert [DVD] [Import]
- 出版社/メーカー: Mel Bay
- メディア: DVD
気ままに絵のみち 熊谷守一 (別冊 太陽) [5:その他]
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ソロ・ギターの曲に対して、「いい曲だなぁ~」と自分が判断する基準のひとつに、「聴いていると音楽を忘れてふっと絵が浮かんでくるもの」というのがあります。
「じゃあ、どういう画家が好みなの?」と問われたら、まず挙げたいのが熊谷守一。
飄々(ひょうひょう)として枯れた構図に見えますが、じっと眺めているとなんともいえない力強さを感じる不思議な画風が魅力です。
わたしが熊谷守一の絵を知ったのは5年前のこと。
たまたま立ち寄った水戸にある茨城県近代美術館の展覧会でした。
その日は倉敷にある大原美術館の所蔵品が展示されていて、そこに展示されていた「陽の死んだ日」という作品に出会ったことがきっかけです。
それまで熊谷守一という画家のことはまったく知らなかったのですが、この絵をみた瞬間に「!」となってしばらく立ち尽くしてしまいました。
・熊谷守一「陽の死んだ日」(1928) [大原美術館所蔵]
http://www.ohara.or.jp/200707/jp/1_web/2/exh/006.html
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熊谷守一は音楽好きで、音楽家の信時潔と交流があり、彼の影響で音の研究にのめりこんだ時期があったということです。
「気ままに絵のみち 熊谷守一」によれば、『絵を描かずに、音の振動数の計算に熱中したのは、長男が生まれる前後のことだ。信時に借りたドイツ人学者の本から興味を持ち、無数にある音の組み合わせの振動数の計算ばかりにとうとう一年ほども費やした。』とあります。
年表によれば、この時期は関東大震災のあった1923年前後に当たります。日本では1925年にラジオ放送が始まっていますので、まだ真空管を使ったオーディオ機器が普及していない時代。
彼はいったいどういう本を使って、どういう計算をしていたのか、興味のあるところです。
ドイツ人学者で音響に関する研究を行なった人物といえば、音色が楽音に含まれる倍音の種類、数、強さによって決定されることを明らかにしたヘルムホルツが思い浮かぶところですが・・・。
(2009/6/2記)
日本経済新聞の『私の履歴書』に熊谷守一が掲載した文章をまとめた「へたも絵のうち」を読んでみたところ、彼が絵を書かずに没頭していた音の研究に関して詳しい記述がありました。
・・・今でも妻がよく話すのは、音の振動数の計算のことです。ドイツのヘルムホルツという学者がこの道の権威で本を書いているのですが、それを信時潔に貸してもらって読んだら、なかなか複雑でむずかしい。音というものは高い低いによって振動数が違う、高い音は波の数が多く、低いのは少ない。二つ以上の音を同時に出すと、その波がいろいろ入り組んでくる。その入り組み方によって、きれいな音やきたない音ができる---とまあ、そういう話なのです。
面白くなって、その音の組み合わせの、それぞれの振動数をいろいろと計算しました。音の高低は何段階にも分かれていて、その組み合わせも無数といっていいほどある。それを順に計算していきました。しかしとりかかると果てしがない。夜静かになってから夜ふかしして計算し続け、毎晩続けても、まだ次から次へと組み合わせはあります。とうとう一年ほど、ほかのことはあまりやらずに、この計算にせいを出してしまいました。このときは妻に、「そんなむずかしい計算ばかりして、生活の計算はいっこうにしない」といわれました。 (「へたも絵のうち」熊谷守一より)
(2009/12/12記)
こちらの自伝もおすすめです。